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「仕事がきつい」と漏らすエイミー、「一緒に頑張りましょう」と返すフロー
「仕事がきつい」とフローに言った時点でエイミーは職場を見限っている
2幕でフローがエイミーに「顔色が悪いわね。エイミー、大丈夫?」と伺います。
するとエイミーが歌で「仕事がきつい、つらい」とフローに漏らします。
看護婦団の団長であるフローに向かって「仕事がきつい、つらい」と言った時点で、エイミーは職場を見限っていると私は思います。
加えて、看護婦という職も金輪際やらないともきっとエイミーは決めていたのでしょう。
なぜエイミーはフローに「仕事がきつい」と言ったのか
なぜエイミーは団長のフローに「仕事がきつい」と言ったのでしょう?
ここで、この投稿を読まれている皆様に質問です。
あなたは、職場の人に「仕事がきつい」と面と向かって言ったことがありますか。
言うとしたら、それはどのような状況でしょうか。
なかなかないんじゃないかと思います。
職場の人に「仕事だるいよね」「面倒くさいよね」といった軽い雑談ではなく、「仕事がきついんです」と本気で言うことはよほどのことがないと口にすることはないのではないかと私は思います。
なぜなら、私は職場を以下のような場だと考えているからです。
職場は悩みを打ち明ける場でも、自己開示をする場でもありません。
ただ労働をする場です。それ以上でもそれ以下でも何でもありません。
(少なくとも私にとっては職場とはそのような存在です。)
もしもエイミーが看護婦を続けたいという思いが少しでもあったならば、「注射を打つのが苦手なんですが、団長はどのようなことに注意して注射を打っているのですか?」などと業務内容の質問で返しているでしょう。
あるいは、自分の気持ちを隠したいと思ったら、「いえ、特に悩みはありません。ただ、最近寝不足でして…」などと言って誤魔化したかもしれません。
なぜ「仕事がきつい」とフローに向かって言ったのか?
「看護婦を辞める」ことがエイミーにとってはすでに決定事項だったからです。
決定していないことは「いつ看護婦を辞めるか(職場から逃げるか)?」「いつ看護婦を辞めると団長であるフローに伝えようか?」と行動を起こす時期だったのでしょう。
「看護婦を辞める時が今かどうかを決断する」ために「仕事がきつい」とエイミーはわざわざフローに漏らしたのではないでしょうか。
フローの言葉で退職の時機を決めたエイミー
「仕事がきつい」と言ったエイミーにフローが返す言葉。
それは、「一緒に頑張りましょう」です。
「仕事がきつい」に対して「一緒に頑張りましょう」…???
なんて軽い台詞、浅い台詞なのでしょう。
フローは自己満足していますが、エイミーはサーッと血の気が引いて、「絶望」が「虚無」に変化し、「早くここから逃げよう」とおそらく決断したのでしょう。
フローに「一緒に頑張りましょう」と言われて、エイミーは「いよいよだ。今が看護婦を辞める時だ」と判断を下したのでしょう。
まとめ 「絶望」が「虚無」に変化すると、人は「継続」を断念する
結論としては、エイミーは団長(責任者)であるフローの対応で「絶望」から「虚無」に変化し、「看護婦を辞めよう」と決断したのだと私は思います。
「絶望」が「虚無」に変化すると、人は「継続」を断念するのでしょう。
職場に「虚無」を感じたら、人は退職します。
人に「虚無」を感じたら、その人と距離を置いたり、縁を切ったりします。
場所でも人でも「虚無」の境地に至ると、関係性を継続するのが馬鹿馬鹿しくなってくるのです。
もう何をしても無駄なんだ…と片方が思ったら、関係性は終了してしまうのです。
ただ、私は「継続」を断念することが無意味だとは思いません。むしろ、「新たなステージへの移行」と捉えることもできますし、「チャンス」と捉えることができます。
人は常に変化しますからね。本質は何も変わらなくても、趣味趣向や考えは変わりやすいです。考えが変わったら、行動も変わりますしね。
「継続」の断念は「自分には向かない、合わない」「今の自分には不必要である」という心からのメッセージなのだと私は思います。
そもそもやってみなければ、自分に向かないことや合わないことを自分で知ることもできないのです。
「やりたくてやってみたけれど、どうやら自分には合わないようだ。それでは、次は何をしようか。」と探ることも人生の醍醐味の1つなのではないでしょうか。
心からのメッセージを読み解いて行動を重ねることが「人生」なのではないでしょうか。